61代・朱雀天皇
六一代/朱雀(すざく)天皇陵
諱/寛明 ゆたあきら
在位年/西暦九三〇〜九四六
陵形/円丘
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮
所在地/醍醐陵 京都府京都市伏見区醍醐御陵東裏町
最寄駅/京都市地下鉄東西線「醍醐」から、約1,5km・徒歩約20分。
朱雀天皇(すざくてんのう)は、日本の第61代天皇(在位:930年10月16日〈延長8年9月22日〉- 946年5月23日〈天慶9年4月20日〉)。諱は寛明(ゆたあきら)。
第60代醍醐天皇の第十一皇子。母は藤原基経の娘、中宮藤原穏子。
延長4年(926年)、東宮となる。
立太子の背景には、兄保明親王とその子慶頼王の二代にわたる東宮の夭折があり、母后穏子は怨霊を恐れて、寛明親王を3歳になるまで幾重にも張られた几帳の中で育てたという。
延長8年(930年)先帝の醍醐天皇の危篤を受け9月22日に践祚、醍醐天皇はその7日後に崩御、11月21日に8歳(滿7歳3か月)で即位。政治は、伯父忠平が摂関として取り仕切っていた。
治世中の承平5年(935年)2月、平将門が関東で反乱を起こし、次いで翌年には瀬戸内海で藤原純友が乱を起こした(承平天慶の乱)。
朝廷は懐柔策を試みたがうまくいかず、天慶3年(940年)、藤原忠文を征東大将軍に任命して将門征伐軍を送り、藤原秀郷の手により将門は討たれた。
翌年には橘遠保により藤原純友が討たれ、乱はようやく収束した。
治世中はこのほかにも富士山の噴火や地震・洪水などの災害・変異が多かった。
また病弱のためか入内した女御はわずか2人であり、在位中には全く皇子女に恵まれなかった。
このこともあってか、天慶7年(944年)4月に同母弟成明親王(後の村上天皇)を東宮(皇太弟)とし、2年後の天慶9年(946年)4月20日に24歳で譲位し、太上天皇となる。
その後、後悔して復位の祈祷をしたともいう。天暦6年(952年)に出家して、仁和寺に入った。同年、30歳で崩御。
八歳のとき、危篤の父帝より遺言を託されるが、貞信公よりそれを聞き返された時折、三番目は忘れたという。
1952年(昭和27年)9月11日、皇居皇霊殿にて朱雀天皇千年式年祭の儀が行われた。
また、陵所において朱雀天皇山陵千年式年祭の儀が行われ、奉幣のための勅使として掌典の酒井忠康 が参向した。
