85代・仲恭天皇


八五代/仲恭(ちゅうきょう)天皇陵
諱/懐成 かねなり
在 位年/西暦一二二一〜一二二一年
陵形/円丘
皇居/平安京

所在地/九条陵 京都市伏見区深草本寺山町
最寄駅/京阪本線「鳥羽街道」下車、徒歩約15分。

仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう)は、日本の第85代天皇(在位:1221年5月13日〈承久3年4月20日〉 - 1221年7月29日〈承久3年7月9日〉)。諱は懐成(かねなり)。
順徳天皇の第三皇子。母は中宮・立子(東一条院。九条良経の娘)。践祚はしていたが即位礼を行う前に承久の乱によって皇位を廃された。歴代の天皇の中で、在位期間が最も短い天皇である。

建保6年(1218年)10月10日、中宮所生の嫡出の皇子として誕生し、生後1か月の11月26日に立太子。
父の順徳天皇が、祖父の後鳥羽上皇と共に鎌倉幕府執権であった北条氏追討の挙兵(承久の乱)に参加するため、承久3年(1221年)4月20日に譲位され、4歳で践祚。
同年、祖父の後鳥羽上皇が承久の乱を起こしたが、北条義時の遣わした泰時率いる幕府軍に敗北。
後鳥羽上皇・順徳上皇はそれぞれ隠岐・佐渡に、乱に関与していなかった土御門上皇も自ら望んで土佐に配流された。
7月9日に幕府の手によって懐成親王(仲恭天皇)は皇位を廃され、高倉天皇の第二皇子である守貞親王(後高倉院)の皇子・茂仁王(後堀河天皇)が即位した。
懐成親王は幼児で、幕府の将軍(摂家将軍)三寅(後の九条頼経)の従兄弟であることから、その廃位は予想外であったらしく、後鳥羽上皇の挙兵を非難していた慈円でさえ、幕府に懐成親王の復位を願う願文を納めている。
母親の実家である摂政・九条道家(天皇の叔父、頼経の父)の邸宅に引き渡され、天福2年(1234年)5月20日に17歳で崩御した。

即位後わずか78日で廃され、即位式も大嘗祭も行われなかったため諡号・追号がされず、九条廃帝(くじょうはいたい)、承久の廃帝(じょうきゅうのはいたい)、半帝、後廃帝と呼ばれていた。

明治3年(1870年)5月、明治政府(太政官)は、大友皇子、淡路廃帝、九条廃帝に天皇号の追諡を行うことにして、神祇官および大学に追諡の撰定を命じた。
九条廃帝は4歳で登極、在位78日で廃位、以後17歳で亡くなるまで生家の九条邸で隠棲していたため、諡号撰定の根拠にすべき事績は全くなかった。
神祇官でも苦心の結果、天皇が第三子であったことから「仲」の字を、また諡は本来敬を表すものであるということから「恭」の字を選び、両者で「仲恭」の諡号を撰定するに至った。
政府はこれに対して弾正台などの意見も聞き、7月20日に「仲恭」と決定し、同年7月23日に神祇官で祭典執行、祝詞をして奉諡を行った。翌日、太政官布告第482号に(『太政官日誌』(明治3年第28号))で、弘文天皇(大友皇子)、淳仁天皇(淡路廃帝)とともに仲恭天皇の諡号が布告された。

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