御鞆

譽田天皇 應神天皇  

初天皇、在孕而天神地祇授三韓。既産之、宍生腕上、其形如鞆、是肖皇太后爲雄裝之負鞆肖、此云阿叡、故稱其名謂譽田天皇。

 

御鞆

御鞆 附 錦袋 ・皇大神宮御料  神宮神宝図録より

『日本書紀』に「臂(ただむき)に稜威(いつ)の高鞆(たかとも)を著(は)き」とか『万葉集』に「丈夫(ますらを)の鞆の音すなりもののふの」とあるように、鞆には音に関連した表現がある。弓を射るとき、弓弦がはね返って腕に触れるのを防ぐため、弓手の手首に結びつけたのが鞆である。弦があたれば音高く鳴り響き、また矢をつがえなくても、その音で敵を威嚇することも出来た。御料は、もとは鹿革で作られ胡粉(ごふん)を塗りその上に墨で鞆絵を描くことになっていたが、1462年からは熊の皮となり、毛を内側にして藁を入れて縫い込み外側には黒漆を塗って銀蒔絵の鞆絵を描いた。この文様が鞆に描いたいわゆる「鞆絵」である。鞆の手は牛皮で、これに手首に結びつけるための白鞣革の本緒と、紫村濃(むらさきむらご)の丸緒が付けてある。 

日本書紀 巻第一 神代上 ・第六段 瑞珠盟約章より

便以八坂瓊之五百箇御統(御統、此云美須磨屢)纒其髻鬘及腕、又背負千箭之靫(千箭、此云知能梨)與五百箭之靫、臂著稜威之高鞆(稜威、此云伊都)振起弓彇、急握劒柄、蹈堅庭而陷股、若沫雪以蹴散(蹴散、此云倶穢簸邏邏箇須)、奮稜威之雄誥(雄誥、此云鳥多稽眉)、發稜威之嘖讓(嘖讓、此云舉廬毗)、而俓詰問焉。

万葉集 巻一 七六 ・43代元明天皇 即位式大嘗会にて御製歌

『原文』大夫之 鞆乃音為奈利 物部乃 大臣 楯立良思母

ますらをの、鞆(とも)の音すなり、物部(もののふ)の、大臣(おほまへつきみ)、盾(たて)立つらしも

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