18代・反正天皇・珍
一八代/反正(はんぜい)天皇陵
和風諡号/多遅比瑞歯別天皇 たじひのみずはわけのすめらみこと
在位年/西暦四〇六〜四一〇
陵形/前方後円
皇居/丹比柴籬宮跡(大阪府)
所在地 百舌鳥耳原北陵 大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁
最寄駅 南海高野線「堺東」から徒歩約五分
百舌鳥古墳群の北端にある「百舌鳥耳原北陵」、大きさは仁徳天皇陵古墳の1/3ほどらしい。
南海高野線・堺東駅の東側から降りるとすぐだ。御陵の廻りは寸部の隙もなく民家と道路が取り囲んでいる。
北側には河内、和泉、摂津の三国の境にあり、方位のない清地とされた「方違神社」がある。
反正天皇(はんぜいてんのう)は、日本の第18代天皇(在位:反正天皇元年1月2日 - 同5年1月23日)。『日本書紀』での名は瑞歯別天皇。兄弟継承した初の天皇。
5世紀前半に実在したと見られる天皇。大鷦鷯天皇(仁徳天皇)の第三皇子。母は葛城襲津彦の女の皇后磐之媛命(いわのひめのみこと)。去来穂別天皇(履中天皇)・住吉仲皇子の同母弟で、雄朝津間稚子宿禰天皇(允恭天皇)の同母兄。仁徳天皇87年、大鷦鷯天皇の崩御後、叛乱を起こした住吉仲皇子をその近習である曽婆訶理(隼人)を利用して誅殺した。履中天皇2年1月4日に立太子(皇太弟)。同6年3月15日に去来穂別天皇が崩御し、翌反正天皇元年1月に即位。兄弟継承はここに始まる。同年8月6日、共に和珥木事の娘である和珥津野媛を皇夫人に、和珥弟媛を妃に立てる。同母兄弟の2天皇と異なり皇族の妻を娶ることはなく、子孫が即位することもなかった。10月に河内丹比を都とする。天下太平であり、何事もなく在位5年。反正天皇5年1月に皇太子を立てないまま崩御。跡を弟の雄朝津間稚子宿禰尊が継いだ(允恭天皇)。