20代・安康天皇・興


二〇代/安康(あんこう)天皇陵
和風諡号/穴穂天皇あなほのすめらみこと
在位年/西暦四五三〜四五六
陵形/方丘
皇居/石上穴穂宮(奈良県) 

所在地 菅原伏見西陵 奈良県奈良市宝来4丁目
最寄駅 近鉄橿原線「尼ヶ辻」から、バス「宝来」下車 徒歩約五分

安康天皇陵は、奈良市郊外の「阪奈道路」と「第二阪奈道路」が分岐する地点近くにある天皇陵。アクセスは良くないが、古い集落と里山、ゴルフ場に囲まれるようにある御陵。観光客もあまり訪れないので、静かな時間を楽しんで欲しい。歩くなら、近鉄橿原線「尼ヶ辻」から暗越奈良街道を経由して約二九分。

安康天皇(あんこうてんのう)は、日本の第20代天皇(在位:允恭天皇42年12月14日 - 安康天皇3年8月9日)。『日本書紀』での名は穴穂天皇。暗殺されたと明確に記された最初の天皇である。
允恭天皇の第二皇子。母は稚渟毛二派皇子(応神天皇皇子)の女の忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)。木梨軽皇子の同母弟で、大泊瀬幼武天皇(雄略天皇)の同母兄。父帝が崩御すると、群臣の支持を失っていた太子の兄に替わって即位。石上穴穂宮に都を遷す。
即位元年、根使主の讒言を信じておじ(大鷦鷯天皇(仁徳天皇)の皇子)の大草香皇子を誅殺。
即位2年、その妃であった中蒂姫を皇后に立てたが、翌年8月9日に連れ子の眉輪王に暗殺されて崩御した。
その後、弟の大泊瀬皇子が眉輪王を含めた多くの皇族を殺して後を継ぎ即位。根使主は14年後に讒言が発覚して誅殺されたが、やすやすと信じてしまった安康天皇の過ちもあり根使主の子孫が根絶やしにされることはなかった。

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