10代・崇神天皇
十代/崇 神(すじん)天皇陵
和風諡号/御間城入彦五十瓊殖天皇 みまきいりひこいにえのすめらみこと
在位年/紀元前九七〜前三〇
陵形/前方後円
皇居/磯城瑞籬宮
所在地 山邊道勾岡上陵 奈良県天理市柳本町
最寄駅 JR桜井線「柳本」から徒歩一五分
第10代・崇神天皇(すじんてんのう)は、『日本書紀』での名は、御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと)。祭祀、軍事、内政においてヤマト王権国家の基盤を整えたとされる御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)。実在した可能性のある最初の天皇とする説があり、考古学上実在したとすれば治世時期は3世紀後半から4世紀前半と推定されるが、近年発掘の進む纏向遺跡との関係からその存在に注目が高まっている天皇の一人である。
開化天皇の第二皇子。母は伊香色謎命(いかがしこめのみこと)で後の物部氏の系譜に連なる。19歳で皇太子となる。
父帝が崩御した翌年の1月13日に即位。2月16日に従妹の御間城姫を皇后とし、活目尊(後の垂仁天皇)や倭彦命らを得た。即位5年から7年にかけて疫病が流行したが、大物主神などの神々を祀ることで治めた。即位10年、武埴安彦(たけはにやすびこ、孝元天皇の皇子)の反乱を鎮め、四道将軍を各地に派遣した。即位12年に戸口を調査して初めて課役を科したことで御肇国天皇と称えられている。即位65年、任那から朝貢があった。即位68年、崩御。