11代・垂仁天皇


十一代/垂 仁(すいにん)天 皇 陵
和風諡号/活目入彦五十狭茅天皇 いくめいりひこいさちのすめらみこと
在位年/紀元前二九〜西暦七〇
陵形/前方後円
皇居/纒向珠城宮

所在地 菅原伏見東陵 奈良県奈良市尼辻西町
最寄駅 近鉄橿原線「尼ヶ辻」から徒歩五分

崇神天皇の第三皇子。生母は皇后の御間城姫命(みまきひめのみこと、大彦命〈孝元天皇皇子〉の娘)である。兄の豊城入彦命をこえて、24才で皇太子に立てられる。
父帝が崩御した翌年の1月2日に即位。即位2年に彦坐王(天皇の伯父)の娘の狭穂姫命を皇后とした。
即位5年に皇后の兄の狭穂彦王が叛乱を起こし、皇后もこれに従って兄と共に焼死した。
即位15年2月、丹波道主王の娘の日葉酢媛命を新たな皇后として大足彦尊(景行天皇)、倭姫命らを得た。
即位25年、武渟川別・彦国葺・大鹿嶋・物部十千根・大伴武日の五大夫を集めて先皇(崇神天皇)の偉業を称え、先皇と同様に神を祀ることを誓った。同年、天照大神を異母姉妹の豊鍬入姫命から離し、その祭祀を日葉酢媛命が生んだ皇女の倭姫命に託した。宇陀、近江、美濃と周った倭姫命は最終的に伊勢に落ち着き伊勢神宮を建立した(元伊勢伝承)。
即位27年、初めて屯倉(天皇の直轄地)を作った。また諸神社に武器を献納し神地・神戸を定めた
即位35年、子の五十瓊敷入彦命に河内国の高石池や茅渟(ちぬ)池を始め諸国に多くの池溝を開かせて農業を盛んにした。
即位39年、子の五十瓊敷入彦命が千本の剣を作り石上神宮に納めたことをきっかけに同神宮の神宝を掌らせる。
即位88年、天日槍の曾孫の但馬清彦に但馬の神宝を献上させた。現在、その神宝は出石神社で祭られている。
即位90年2月、天日槍の玄孫の田道間守に命じて常世国の非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を求めさせる。
即位99年、崩御。『住吉大社神代記』には、在位53年で辛未年に崩御したとある。この干支は『書紀』の庚午年没と1年異なるが『古事記』では崇神天皇没の戊寅年の53年後が辛未のため一致し、これに基づけば崇神天皇は258年、垂仁天皇は311年没と推定される。

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