12代・景行天皇
十二代/景行(けいこう)天皇陵
和風諡号/大帯日子淤斯呂和気天皇 おおたらしひこおしろわけのすめらみこと
在位年/西暦七一〜一三〇
陵形/前方後円
皇居/纒向日代宮
所在地 山邊道上陵 奈良県天理市渋谷町
最寄駅 JR桜井線「巻向」から徒歩十二分
垂仁天皇の第三皇子、母は日葉酢媛命(ひばすひめのみこと。開化天皇の曾孫)。垂仁天皇37年1月1日に21歳で立太子。
父皇が崩御した翌年に即位。即位2年、3月3日に播磨稲日大郎姫を皇后とした。皇后との間には大碓皇子、小碓尊らを得ている。
即位4年、美濃国に行幸。八坂入媛命を妃として稚足彦尊(成務天皇)、五百城入彦皇子らを得た。
即位12年、九州に親征して熊襲・土蜘蛛を征伐。
即位27年、熊襲が再叛すると小碓尊(16歳)を遣わして川上梟帥を討たせた。
即位40年、前もって武内宿禰に視察させた東国の蝦夷平定を小碓尊改め日本武尊に命じた。3年後、帰途に伊勢国能褒野で30歳で逝去した日本武尊を埋葬し、大和国と河内国にも白鳥陵を造る。
即位51年、8月4日に稚足彦尊を立太子し、武内宿禰を棟梁の臣とした。
即位52年、5月4日の播磨稲日大郎姫の崩御に伴い7月7日に八坂入媛命を立后。
即位53年から54年にかけて日本武尊の事績を確認するため東国巡幸。
即位58年、近江国に行幸し高穴穂宮に滞在すること3年。即位60年、同地で崩御。