日岡陵
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御陵
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播磨稻日大郎姫陵
皇居
纏向日代宮
三輪山・朝
日本書紀記述
日本書紀原文
景行天皇top
所在地・兵庫県加古川市大野・日岡陵
考古学名「日岡山古墳」
地図(google map)
12代景行天皇皇后・日本武尊母・「褶墓」とも呼ばれる、加古川で遺体が流され残った櫛箱と褶(ひれ)を埋葬した「播磨国風土記」
播磨稻日大郎姫・日岡陵
播磨稻日大郎姫・日岡陵
播磨稻日大郎姫・日岡陵
播磨稻日大郎姫・日岡陵
播磨稻日大郎姫・日岡陵
播磨稻日大郎姫・日岡陵
播磨稻日大郎姫・日岡陵
播磨稻日大郎姫・日岡陵
日岡山展望台・聖徳閣趾より、播磨稻日太郎姫・褶墓を望む。七代孝靈天皇と蠅某弟との皇子・稚武彦命の皇女、印南別嬢と同一人とされている。現加古川は印南川と呼ばれていた
日岡山展望台・聖徳閣趾より。加古川から播磨灘その奥に淡路島が見える。
日岡坐天伊佐佐比古神社・延喜式神名帳(現・日岡神社)
祭神・天伊佐佐比古命 配祀・豐玉比売命・鵜草葺不合命・天照皇大御神・市杵島比売命。安産祈願が有名
播磨稻日太郎姫命の初出産が難産だったため、次の出産時に天伊佐佐比古命が祖神に安産を祈願した結果、無事双子の皇子を出産した。この皇子が、大碓命・小碓命である、と伝わる
日岡神社由緒書きに、十代崇神天皇の御世、四道将軍が派遣され、西道・山陽地方には七代孝靈天皇皇子・彦五十狭芹彦命(吉備津彦命)と若武吉備津彦命が派遣された。この吉備津彦命が天伊佐佐彦尊であると云われる。
奈良時代の播磨風土記には、日岡には大御津歯命の子の伊波都比古命と言う神がいるとある。江戸時代には正一位日向大明神と称せられ、明治七年日岡神社と改める
境内社・高御位神社・天満神社・恵比寿神社・稲荷神社・住吉神社・熊野神社・大鳥居神社
居屋河原日岡神社(大鳥居神社)・かつて寺家町にも日岡神社が有り、兄弟社とされていたが1969年に全焼し1971年に合併し境内社として再興した
景行天皇皇后、播磨稻日太郎姫命が日本武尊を生み、蝦夷遠征を日本武尊と共にした吉備武彦の娘は日本武尊の妃となり、息子・鴨別は、仲哀天皇の熊襲征討に功績をあげた。吉備を冠する地名は西日本の広範囲に存在する