13代・成務天皇
十三代/成務(せいむ)天皇陵
和風諡号/稚足彦尊 わかたらしひこのみこと
在位年/西暦一三一〜一九〇
陵形/前方後円
皇居/志賀高穴穂宮(滋賀県大津市)
所在地 狹城盾列池後陵 奈良県奈良市山陵町
最寄駅 近鉄京都線「平城」から徒歩八分
『日本書紀』によれば景行天皇51年8月4日に立太子、成務天皇元年正月に即位。
即位3年、武内宿禰を大臣とした。
即位5年9月、諸国に令して、行政区画として国郡(くにこおり)・県邑(あがた むら)を定め、それぞれに造長(くにのみやつこ)・稲置(いなぎ)等を任命して、山河を隔にして国県を分かち、阡陌(せんぱく・南北東西の道)に随って邑里(むら)を定め、地方行政機構の整備を図った。ここにおいて人民は安住し、天下太平であったという。
『古事記』にも大同小異で、「建内宿禰を大臣として、大国・小国の国造を定めたまひ、また国々の堺、また大県小県の県主を定めたまひき」とある。序文には御間城天皇(崇神天皇)の祭祀、大鷦鷯天皇(仁徳天皇)の善政、雄朝津間稚子宿禰天皇(允恭天皇)の氏姓改革に並ぶ偉業として扱われている。『先代旧事本紀』の「国造本紀」に載せる国造の半数がその設置時期を成務朝と伝えていることも注目される。
即位48年、3月1日に兄・日本武尊の第二子である甥の足仲彦尊(後の仲哀天皇)を皇太子に立てた。
即位60年6月、崩御。