4代・懿徳天皇
四代/懿 徳(いとく)天 皇 陵
和風諡号/大日本彦耜友尊 オオヤマトヒコスキトモミコ
在位年/紀元前五一〇〜前四七七
陵形/山形
皇居/軽曲峡宮
所在地 畝傍山南繊沙渓上陵 奈良県橿原市池尻町
最寄駅 近鉄南大阪線「橿原神宮西口」から徒歩約四分
磯城津彦玉手看天皇(安寧天皇)の第二皇子。母は鴨王(事代主神の孫)の娘の渟名底仲媛命。兄弟として同母兄に息石耳命(常津彦某兄)、同母弟に磯城津彦命がいる。父帝が崩御した翌年の2月に即位。即位2年1月、軽之境岡宮(かるのさかいおかのみや)に都を移す。同年2月、息石耳命の娘の天豊津媛命を皇后として観松彦香殖稲尊(後の孝昭天皇)を得た。即位34年、崩御。
即位後の事績は『日本書紀』・『古事記』とも記載がなく欠史八代の1人に数えられる。