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延喜式諸陵寮・軽曲峡宮御字懿徳天皇
在大和國高市郡、兆域・東西一町、南北一町守戸5烟
幕末修陵に際して現陵に治定
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まなごの里辺り、左奥に『まなご谷・まなご山』が残る
畝傍町のイトクノモリ古墳は皇后陵と言われている。
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菅笠日記頃、懿徳天皇陵は見つけ出せない程荒れていたのか
『まなご山があり池水が枯れ…御陵が分からず…』と記述されている
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大日本彦耜友天皇、磯城津彦玉手看天皇第二子也。
母曰渟名底仲媛命、事代主神孫、鴨王女也。
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うねびやま見ればかしこしかしばらの ひじりの御世の大宮どころ
43歳の本居宣長が菅笠日記に記した慈明寺山東南辺り