7代・孝靈天皇
七代/孝 霊 (こうれい)天皇陵
和風諡号/大日本根子彦太瓊天皇 おおやまとねこひこふとにのすめらみこと
在位年/紀元前二九〇〜前二一五
陵形/山形
皇居/黒田廬戸宮
所在地 片丘馬坂陵 奈良県北葛城郡王寺町本町三丁目
最寄駅 JR関西本線「王子」から徒歩約一七分
孝安天皇の皇子。母は皇后で天足彦国押人命の娘の押媛(忍鹿比売)。兄弟として『古事記』では同母兄に大吉備諸進命の名が見える。26才で皇太子となる。
父帝が崩御した年の12月、黒田廬戸宮(くろだのいおどのみや)に都を移す。それまでの山裾にあった宮と異なり大和盆地の中央に位置する。翌年の1月に即位。即位2年、磯城県主(または十市県主)大目の娘の細媛命を皇后とし、彦国牽尊(後の孝元天皇)を得た。また春日千乳早山香媛、倭国香媛らを妃にしている。倭国香媛との間には御間城天皇(崇神天皇)の時代に四道将軍となった彦五十狭芹彦命、疫病や反乱を収めるのに重要な役割を果たした倭迹迹日百襲姫命を得た。即位76年、崩御。
即位後の事績は『日本書紀』・『古事記』とも記載がなく欠史八代の1人に数えられる。