龍安寺(円融寺跡)
平安後期top
御陵
後村上陵
皇居
大内裏平安宮
龍安寺(円融寺跡)
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圓融天皇top
龍安寺(石庭)・もともと衣笠山山麓に位置する龍安寺一帯は、永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった
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円融天皇火葬塚・ 龍安寺よりかなり朱山を上った山中に64代・円融天皇の火葬塚がある、龍安寺朱山七陵の一つ。
地図(google map)
円融天皇・火葬塚
円融天皇・火葬塚
円融天皇・火葬塚
龍安寺(円融寺跡)・円融寺は徐々に衰退し、平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地を山荘とした、この山荘を細川勝元が譲り受け、宝徳2年(1450年)敷地内に龍安寺を建立した。
龍安寺・知足の蹲踞(つくばい)・蹲踞は茶室に入る前に手や口を清めるための手水鉢のこと、水戸藩主徳川光圀の寄進によるものと伝えられている。「吾れ唯だ足るを知る」禅の格言を謎解き風に図案化したものである。複製された蹲踞
龍安寺
龍安寺
円融天皇・火葬塚
龍安寺
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龍安寺
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龍安寺
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