冷泉院



藤原良房は仁明朝期頃から次第に権勢を強めた。文徳天皇が東宮の頃に、良房の娘の明子(あきらけいこ)が入内しており、ちょうど天皇即位の年の3月に第四皇子(惟仁親王、後の清和天皇)を産んだ。惟仁親王は11月に、生後8カ月で3人の兄を押しのけ立太子した。天皇は更衣の紀静子所生の第一皇子の惟喬親王を鍾愛し期待したが、良房の圧力で惟仁を皇太子とせざるを得なかった。
良房の圧力の前に大内裏の東部にある東宮雅院や、嵯峨上皇の後院だった冷然院などに居住して、遂に一度も内裏正殿を居住の間として生活を送ることはなかった。

inserted by FC2 system