黒田廬戸宮
黎明期top
御陵
片丘馬坂陵
皇居
黒田廬戸宮
日本書紀記述
日本書紀原文
孝靈天皇top
黒田廬戸宮跡・孝霊神社
地図(google map)
孝靈神社・別名廬戸(いおと)神社・祭神 大日本根子彦太瓊尊
明治初期に現地に遷座、法楽寺の鎮守社の頃の石燈篭
黒田廬戸宮跡
太子道・聖徳太子が通った伝承をもつ。
孝靈天皇の時代に播磨国を通過し吉備を攻め平定した(記)
大和川に近く支流が多いこの辺りは湿地帯であったとされている
黒田大塚古墳・古墳時代後期の物、他弥生時代の物もあり
廬戸宮のあったこの辺りに古くから集落が有った
法楽寺・真言宗御室派、孝靈天皇黒田廬戸宮跡に建立
桃太郎伝の発祥地とされている
彦五十狭芹彦命・稚武彦命の吉備国平定の話が元とされる
鬼退治伝説だけでなく、田原本は万葉の時代、桃が有名
川上から男子が流れてきて神様になった伝説が残る
やまとの室原は現在の田原本周辺
また卑弥呼誕生の地とも伝わる(倭迹迹日百襲媛命)